全ゲノム配列解析により見えてきた沖縄島と宮古諸島の集団の形成過程

 琉球列島は1000km以上にも広がる日本列島南端の島嶼地域です。そこに位置する奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島はそれぞれが地理的に分断されており、独自の文化を形成してきたことが知られています。しかし、それらの地域にどのような人々が移住したのか、どのような集団の変遷があったのかについての詳細は未だ議論の余地があります。

 先史時代の琉球列島には異なる2つ文化圏が存在していました(Koganebuchi & Kimura, 2019)。奄美・沖縄諸島は先史時代を含む北琉球では、狩猟採集を中心とする縄文文化の影響を受けた貝塚時代(6,700–700年前頃)が始まりました。一方で、宮古・八重山諸島を含む南琉球は、縄文文化の影響を受けることなく、下田原文化(4,200-3,500年前頃)や無土器文化(2,500-900年前頃)といった独自の文化が成立したことが分かっています。そして、約800年前に双方の地域でグスク文化が生じたことによって、南北琉球が文化的に統一されます。グスク文化は、農耕や鉄器の拡散、政治的な競争によって特徴づけられ、本土日本からの移住や中国との交流の影響を受けたものと考えられています。
 琉球列島を含む日本列島の人々は、主に縄文人と渡来系弥生人の遺伝的な混ざり合いによって形成されたと考えられています。そして、琉球列島の人々と本土日本の人々との遺伝的な違いは、琉球列島の人々が縄文人由来ゲノムをより多く受け継いでいることによるものと理解されています。
 琉球列島内の島間における人々の遺伝的な違いについては、これまでの研究において、宮古諸島出身者と沖縄諸島出身者の間で遺伝的に分化していることが示されています(Sato et al., 2014)。また、宮古諸島の人々は、沖縄諸島からの複数回の移住を経験していることが示唆されており、宮古諸島内の集団構造が形成されたことが示されています(Matsunami et al., 2021)。しかしながら、貝塚文化を担った琉球縄文人集団からの遺伝的影響、およびグスク時代以降の本土日本からの移住や琉球列島の島間で生じた移住による遺伝的影響のすべてを考慮した集団形成史の復元はこれまで試みられていませんでした。
 そこで本研究では、ヒトが持つDNA配列である約30億塩基の遺伝情報を取得し、それを集団間で比較解析することで、琉球列島の人々の詳細な成り立ちを明らかにしました。特に今回は、沖縄諸島と宮古諸島の人々に注目し、これら二つの地域における縄文人と本州日本の人々の遺伝的影響の違いと、琉球列島内での過去の人の移住の程度について解析しました。

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